近親者のみ

あれこれ綴ります
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うるう年入院記1

2008.03.09
よくよく考えたらその前の日に4時頃遅い昼飯を食べて車を運転していると下腹がつるように痛くなった。少しひねったり様子を見ていたら痛みは5分ほどで治まった。

多分この時にはすでに出血が始まっていて体が危険信号を発していたんじゃないかなあ、そんな気がしてきた。それだけ不穏な痛みだった。

娘の就職のための引越しを終えて自宅で東アジアカップの韓国戦を見る前だった便意を覚えトイレに行き何気なく便の色を見ると真っ黒。これは確か4年前の十二指腸潰瘍の時に見た便といっしょ。のりの佃煮色。
「こりゃまたきたな」
翌日は日曜日なので休日診療医を確認すると厚生病院。よかった前に入院した病院だ。

翌朝、朝市の看板付けと各民宿へのチラシ配りを済ませ、入院の宣告を受けてもいいように読みたい本や荷物をまとめて妻と病院へ。

すぐに診察を受けたら「採決して貧血を見てみましょう」

採決をして、結果、貧血が出ているという。潰瘍の疑いがあるので今から胃カメラを飲む、もし潰瘍なら一週間ぐらいの入院になるけど、はい・・・重々承知しております。内視鏡の準備があるというので待合室で待っていたら急にくらくらしてきて座って居られなくなった。様子がおかしいと感じた妻がすぐに看護士さんを呼び、ストレッチャーに乗せられて救急処置室へ。

どうやらその時倒れたらしい。妻が言うには手をグーに握って目は開いたままだという。看護師さんの声は聞こえるものの周りはまったく見えていない。目を開けられない(もしかしたら妻が言うように目は開いているのにまったく見えていなかったのかも)

看護師さんが先ほど診察してくれたs先生の指示で点滴をしてくれたら少しずつよくなってきた。調子に乗ってせっかくの経験だから救急処置室の中がどうなっているのかよく見ておこうとしたけどそんな余裕は、結局なし。

回復と同時に胃カメラを飲むことに。一刻争うようなあわただしさ。先生も診察を後回しにしてくれて胃カメラ。他の患者さんごめんなさい。

チキン その1

2008.02.01
お仕事でニュージーランド、今回はオーストラリアには行かない。1カ国だけ。

今回の出張ではふたつ、とても怖い思いをした。ひとつは行きの飛行機で起った。海外へはおそらく20回以上少なくともニュージーランドへは15回以上来ているけど始めての経験。

着陸態勢にはいるとの機長からのアナウンス。高度を徐々に落としていく。南太平洋とタスマニア海の両方に面するオークランドはまったくもって海洋性気候、天候がめまぐるしく変わる、というか常にどこかに雲がある。こっちは晴れているのに100メートル先は雨なんてこともよくある。空港周辺も例外なく雲がある。

ということは着陸前に飛行機はダンスする。へそが飛ぶ。マッドマウスでさえ怖い私は平静を装うものの、やばい。視界が明らかに悪いうえにダンスする。キャプテンがいかにマッチョマンだってアテンダントさんがいかに美人であっても怖いものは怖い。

いつもはラテンのようなダンスだけど、今回のダンスはそれでも落ち着いているボサノバのようだった。よしよし・・・が、、、突然ボーイング777が機体をブルブル揺らしながら機首をあげた。さらに機首をあげながら強いGで上昇していく。何事だあ?? 周りを見渡してもみんな平然としている。反対側に座っていた飛行機に乗りなれた風の紳士が異変を感じた素振りで窓の方を覗き込んでいた。

前座席のスクリーンで飛行状況を見ると到着時間や機体の方向がおかしい。明らかに方向を変え、オークランド空港から離れていく。おかしい。
IMG_9092_256.jpg
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すると機内アナウンス「突発的な悪天候のため着陸を断念しました。ただいまから反対側から着陸を試みます」

少しだけざわついたがみんな平然としている。どーしたんだみんな、怖くないの。そう思いつつも私、不可解で不謹慎にも軽い睡魔が襲ってきた。なぜ?年とともに神経が鈍くなったのか不思議だ。少しこっくりしているうちに方向を見定めたボーイング777は再び機首をさげ雲の中に突入した。緊張を思い出した私は腹を決めた「どーんとこい!」
IMG_9091_256.jpg


やがてボーイング777は私の緊張をのせ見事なランディングを見せた。

そして、、、逆噴射の爆音が静まった瞬間、後部座席のほうから一斉に拍手が起こった。なあんだ、みんなチキン(小心者・臆病者)だったんじゃないか。

これぐらいで

2007.11.11
もうイベントも行事も講演会も会議もこれぐらいにしないと体がもちません。忘年会もなるべく少なくしないと。
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NZ200709-1

2007.09.29
9/12 宿泊先の韓国人が運営するモーテルhomestead motel。前回、同じアジアから来ているということで色々と気にかけてくれて、ご飯やキムチや韓国のりをくれたりお世話になった。

奥さんはかつて日本で暮らしたこともあり日本語も上手。ぜひ娘に日本語を教えたいということで文字を学習するノートを頼まれたので帰国後送ってあげたら。大変よろこんでくれて、韓国料理のバイキングに招待してくれた。
ドゥルーリーレストラン2


連れて行ってくれたのが街中から外れた農地に囲まれたバイキングスタイルのレストラン。韓国の有名人もニュージーランドを訪れた時はここに立ち寄るという。
ドゥルーリーレストラン1
IMG_7608_160.jpg



彼らは韓国から移住してきた。長男のソンジュンには障害があって言葉が話せない。少し知能も遅れているようだ。韓国ではまだ障害者への目は冷たく、行政のサポートは薄く、子供たちのためを思い。6年前にジヨン(妻)と子供二人をニュージーランドに送った。ケビン(夫)は韓国から仕送りを続けたが家族が恋しく、国民銀行のエリートというポジションを投げ打って2年前にニュージーランドに移住した。

そんなケビン---。

もちろん彼の名前はケビンではない。こちらの人にも気安く呼んでもらえるようにニックネームをつける。ちなみにジヨンのニックネームはクレア。

さてケビン、今までエリートコースを歩んできた自負が邪魔をして職につくことが出来ず悶々とする日々を送ってきた。しかも英語は話せない。ところがあるとき気がついたらしい。家族の下へ来たのに何をやっているんだ。こうなったらプライドを捨てて力仕事でも汚れ仕事でもなんでもやってやろうじゃないか。

そして学校などを掃除する職について家族を養うために一所懸命働いた。やがて人の紹介でここのモーテル経営を始めた。ずぶの素人で経験がなかったため最初の数ヶ月は苦労したがとにかく頑張った。6ヶ月ぐらいするとなんとなくペースがつかめてきた。やがてケビンは空いている時間を利用しカフェで働いた、その頃にはまた新しい事業を考えるようになっていた。

やがて信頼できる人からの勧めで商店街の2ドルショップビジネスを買った。日本で言うところの100円ショップ。ここで彼はたかが2ドルとはいえ仕入れにこだわり、店を徹底的にきれいにして、音楽を流し、ディスプレイを工夫した。全てが彼がここに来て体験してきたことが役に立った。やがて客層も先住民のマオリ人から白人へと変わり、売り上げも倍増して。スタッフも雇い日曜日はオフを取れるようになった。
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人知れず

2007.06.29
人知れず、今日はお休み。だってここ一ヶ月以上お休みなく朝から晩まで頑張っちゃったから。
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